アンチ・クライマックスの悲しみ
■ 99/04/27(火) 10:02:41 □ 怒れない二人
M父がベーコン&エッグを作る。おおこの親切さ! というほどのことでも
ないが、M父は少なくとも48時間俺を怒らせていない。M父妻は24時間。
兄貴に連れられて長野の食肉包装工場を見学する。M父はこういうところで
は異常なほどの興味を持って見学するので、見せてくれる方も楽しそうだ。夜
は母さんのところで、京都で買ってきたM父妻のキモノの着つけ。意外なほど
柄のいいものを手に入れていて、きれいに着せてもらいよろこんでいた。折り
悪く病院のS吉おじさんの容体が悪くなっており、今日明日にも亡くなるかも
しれないと知らせを受けていた父さんが、その心配に全然メートルが上がらな
いので静かな夕げとなった(メートルってなんだ?)。
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着つけに出る前にM父妻が俺の腕をぐっと握り、「大丈夫よ、M父がなにを
言っても心配しないで」と言う。なんのこっちゃと思ったが、彼女は俺の通訳
に関してなぜかしんぼうづよくなっており(くだらないジョークの訳を強制し
ない)、夕食中一度しか俺を不快にさせなかった。なで?
帰ってきてからMに聞いてみると、「M父の通訳をするのが大変なのでトモ
は疲れてる」など、M父を引き合いに(面と向かってM父妻を例には引けない
ので)細々と「他文化と触れる際の注意事項」を語ったらしい。あそれでか。
それで喋り方が変わったのかと合点したのだが、―――つまりM父妻は俺を助
けているつもりなのだ―――というところに理解が及ぶと、その不愉快さに全
身に湿疹が浮いてきてしまった。なんという心地悪さ。俺を怒らせていたのは
ほとんどすべてM父妻なのである。
Mとしては俺の窮状を救うつもりで手を打ったのだが、これによりM父妻が
永久に自分のしたことの馬鹿さに気づかないまま、俺の味方になってあげたと
嬉々として振る舞うのかと思うとやりきれない。あまりにもやりきれない。残
りたったの3日だけなのだから、なにがあろうと我慢してた方がはるかにマシ
だ。そういうとMは失敗したと落ち込んでしまった。いや君を責めたくはない
が、これだけ腹の立つ目に遭って、さらにその怒りの向けどころすらなくなっ
てしまっては自家中毒になってしまう。これには耐えられないよ、すまんけど。
■ 99/04/27(火) 10:02:41 □ 墓石事件
M父が行きたがっていた中野の博物館を2つ見て回り(郷土の土びな資料館
ではまた「アートじゃない」発言をしていたらしい・笑)、長野で新幹線のチ
ケットを取る。昨日の件で俺は一日気が滅入っており、ずっと黙っていた。あ
まりにも俺が黙っているので機嫌が悪いのだとM父たちは思うかもしれないが、
彼らを喜ばせるために作り笑いをする気にもなれず。
そんなわけでひたすら静かな1日が過ぎた夜、Mが「M父妻を叱りつけたそ
うじゃないの」と言ってきた。は? 「お寺で墓石に触ったらえらい剣幕で怒
鳴られたってM父妻が言ってたわよ」。はあ? 俺は「あ、触らないで」と言っ
ただけだぜ。別にどうってことはないけど、よその家の大事なものだから触ら
ない方がいいだろうくらいの気持ちで。それがなんでそうなるの?
「はは〜ん。あたしが昨日いろいろ『他文化と触れる際の注意事項』を聞かせ
たから、トモに注意されたときにとっさにまただってフリークアウトしたのね」。
あ、なるほどそうですか。「『私は知らなかったのよ、それなのにまるで知っ
ていなければならないことであるかのようにトモはきつく言うのよ』って言っ
てたわよ」。......(絶句)全然違うぞそれは (+_+)。
なんつうオーバーリアクション。俺がずっと黙っていたから緊張してたのか
な。......それにしてもこれまで俺がどんなに怒っても1つも気が付かなかっ
たのもすごいが、まったく怒ってないのに怒ってると思うのもすごいな。さら
にはそれで逆上して怒る資格が自分にあるとまだ思ってるところもなんという
か、厚顔無恥としか言いようがないな。
「でね、『こんなになにからなにまで普段通りにできないんじゃ息が詰まる』っ
てM父妻がいうのよ。それであたしが『誰だって外国に行けばカルチャーショッ
クはあるのよ、トモがカナダにきたときだってそうだったわ』っていうと、
『まさか! カナダにはなんにも変わったシキタリはないわよ!』だって。で
『シキタリじゃなくて、単に文化は世界中様々だってことよ』といったら、
『もううんざりだわ』だって。そこであたしも頭に来て言ったのよ、『トモだっ
てあなたにうんざりし切ってるわよ!』。驚いてたわよ」。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ えらいぞサカタの奥さん \(~o~)/ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
そこでM父が割って入って話が終わったらしいが、願わくばこれはカルチャー
ショックではなくて、M父妻のような他人の気持ちが分からぬ愚劣さは万国共
通で嫌われている(除くフロリダ金持ち社会?)のだというところまで言及し
てほしかった。が、友人でもない相手にそれは行き過ぎなので、俺たちはこん
なところで胸をなで下ろしておくのが妥当だろうな。「昨日『これでギャフン
といわせる可能性すらなくなってしまった』とトモはがっくりきてたけど、こ
れをもってリベンジとしておいていいでしょ?」とMさん。うむ、大体いいで
す。
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M父妻は衣食習慣を説明するときに「アメリカじゃこうするのよ」といって
いたし、二人からOKOへのおみやげはアメリカ国旗の野球帽だった。「フロ
リダじゃ水道代がひどく高いのよ。朝シャワーを浴びてゴルフに行き、帰って
またシャワーだからたまらないわ」なんていうのを聞いていると、なんか俺が
知っているほかのカナダ人とはえらい違うなと思う。彼らは本当にアメリカの
生活を好きで、1年の半分暮らしているから自分はアメリカ人みたいなもんだ
と思っているのかな。アメリカ。
昨日食肉包装工場でM父は、「ノースアメリカじゃ作業場をすべて5度にす
るが、日本じゃそれはしないのか」と尋ねていた。案内してくれた工場長さん
は、「それをしたらみんな辞めちゃうよ。体が持たないもんね。アメリカの施
設を見学したことがあるけど、働いているのは皆他に選択の余地がなさそうな
有色人種だったよ。ああいう階級差があるところだからそんなこともできるん
だろうね」と答える。実に鋭いポイントですと工場長さんに俺がにっこりと答
えてから、面倒な議論にならんよう人種問題の部分だけ省いて訳すと、M父は
「そうだろうな、コストを考えれば日本でも5度にしたいだろうけど、人手不
足で難しいんだろうな」と勝手に納得していたのだった。
そういう劣悪な環境で下層階級(politically incorrect な言葉か?)が低
賃金で寿命を削って働くことにより、M父たちが引退後フロリダでジャガーに
乗りゴルフ三昧をしカリブ海クルーズやら世界旅行やらできるわけである。一
緒に暮らしているとつくづくこれは間違っていると思う。娘のMが社会主義に
傾くのは当然だ。さらにはカリブ海クルーズとかしてるブルジョアが新幹線代
が高いと怒らないでもらいたい。いや高いんだがじっさい ^_^;。
■ 99/04/29(木) 10:37:29 □ アンチ・クライマックスの悲しみ
最後の日。M父妻が風邪を引いてしまっている。Go Go M父のおかげで2週
間の間結局オフ日は一日もなかったので、毎日たいしたことはしていないとは
いえ疲れがあるのかもしれない。M父とMは『EUが米産牛肉を全面禁輸へ』
というネタで朝から元気に議論をしているが。
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風が強く寒かったのだが雲がなく天気は最高だったので、最後の観光は信州
の山を見せることとする。コンビニでサンドイッチと缶コーヒーを買って軽バ
ンに4人乗って山を駆け上がるという定番コース。いつもと違い豊丘の方に上っ
ていくと、山々は高山あたりとはまた違って美しく、上から見えるアルプスと
妙高は本当に見事だった。景色のいいところで車を止めサンドイッチ。M父と
M父妻も、のどかな農村風景になごんでいた様子。M父は「いったいなんの
作物を作っているのだろう」と事実確認にさっさかと歩き回っていたが。
最後の晩餐はさか田創立75年の味すき焼きとする。俺自身もこれほどうま
いすき焼きを食べたのは何年ぶりかというくらいのうまさだった。M父たちも
日本に来てからこれが一番うまかったのだろう、大声を挙げてよろこんでいた。
レストランでは皆が忙しく、最後の挨拶もそこそこに家に帰る。なんかちょっ
と失敗したな。誰もが仕事中なんだから仕方ないんだけど、これじゃちょっと
あっさりしすぎだわ。日曜日に大盛り上がりがあった後は徹底して地味な日々
ばかりになってしまい、お別れもこんな風にあわただしい店先での握手だけと
なってしまっては、えらくアンチ・クライマックスだったなあとM父たちが気
の毒になる。数日前まではイライラさせられっぱなしだったので早く去ってく
れとそればかり祈っていたけれど、昨日今日と俺たちに対してありがとうをい
う率が2倍となるくらいの変わりっぷりを見せていたことでもあり、最後だけ
はなにかぱ〜っとしたことをしてあげたかった。
だけど俺とMにはもう精神的蓄積疲労で知恵が浮かばず、他の人々は皆忙し
く、どうにもならない。うまかったすき焼きの思い出と、今日は酔っ払ってご
機嫌だった父さんの笑顔だけで勘弁してもらうしかない。「なんか悪いことし
ちゃったよ、明日電車の中で謝っておいてくれ」とMにいう。
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なんか、たとえば今日ドライブに出かけるにしても、いつもならビデオカメ
ラを持っていって風景や二人を撮ってあげるのに、「まあいいや」とはしょっ
てしまう。父さんのところではM父に一杯飲んでもらうことくらいはできるん
だけど、「まあする話もないか」と切り上げてしまう。昨日だって今日だって
ちょっと足を伸ばせば小布施の岩勝院とか北斎美術館を見せてあげることがで
きるんだけど、「まあどうせよろこばないか」と家に戻ってしまう。そういう
風なちょっとしたことの積み重ねが、M父たちの旅行の思い出を減らしてしま
うんだよな。後味が苦い。だけどこれはMも俺も全く同じで、ハードだった旅
行前半のせいで、努力してあげる気力が失せてしまっているのだ。
二人は物足りぬ旅であったと思いながら帰るだろう。彼らはどこへ行っても
そうなのよ仕方がないとMはいっているが、物足りなさが目に見えてしまうよ
うでつらい。BRが来たときもSHが来たときも、これ以上はないというほど
歓待されたというのに、そうならなかったのは俺たちのネガティブな感情がさ
か田の人々全員に感染していたのだとも思えるしなあ。
いやまあだけどどうしようもない。カナダに帰れば彼らにはまた、気楽で豪
奢な生活が待っている。ここで満たされない気持ちを味わったとしても、それ
は地道に暮らす娘の生活にぐりぐりと割り込んだがゆえいいことも悪いことも
あったのだと理解してもらおう。ふ。寝よう。明日の夜からは自分のベッドだ。
■ 99/04/30(金) 09:36:29 □ すべてはつつがなく
いま新幹線が駅から出たところ。Mが上野まで送り(JRと京成の乗り換え
の不便さは泣かされる、標識の読めない外国客をここまで送るためだけに毎度
16000円が無駄になっているのだ)俺は家で待つ。M父は最後まで「社会
主義は貧困の源だ」とMと議論していた。「じゃなんでアフリカや南アメリカ
の資本主義国にひどい貧困があるのよ、資本家のせいじゃない」「それは資本
主義じゃなくて独裁国家だからだ」「話をすり替えないでよ」。長野駅で見送
りして、俺はコーヒーを飲み一服する。ふう。解放されたという気持ちでいっ
ぱいになる。
M父妻に決まり文句で「私たちに辛抱してくれてありがとう」といわれる
ことを予期し、そうしたら相手はすでに俺の苦渋を知っているわけでハイとも
いえずイイエともいえず、なんと答えればいいのか分からぬ ^_^; と緊張して
いたのだが、お別れは普通の感謝の言葉で済んだ。こないだまではもう二度と
会いたくないと思っていたのだが、またすぐに会いましょうと自然に言ってし
まう。まあなるようになれヤケクソ(笑)。少なくとも日本に訪ねてくるとい
うことはもうないだろう。
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Mはどあああせいせいしたああああさいっこおおおおと叫びながら帰って
きた。念のために成田フライト情報をチェック。
定 刻 変 更 航空会社 便名 行先地
14:55 14:50 CANADIAN CP2 TORONTO
イエス! 定刻5分前に無事出てくれた。はああああ(大嘆息)。今ごろ空
の上で、あたしたちのもてなしが十分じゃなかったとかぶつぶつ言ってるわよ
絶対、だけどかまやしないわ! きゃーっ \(~o~)/←(M歓喜の叫び)!
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