カナダ最終便
To: 弟その他の人々
Subject: カナダ最終便
From: Tomohisa Sakata 
Date: Thu, 11 Sep 1997 13:56:38 -0700
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  ■□ ともです

  みんな久しぶり。KBテープをありがとう、YKちゃん日本代表驚きの
 大勝利だったね :-)。

  OKOに書いたメールなんだけど、帰国前最終の便りとしてみんなに送り
 ます。20 日にバンクーバーを出て、まっすぐ長野に行き、次にやることが
 定まるまでしばらく須坂のOKOの家の真ん前(旧叔母さん宅)に住むこと
 になったよ。1年か、2年か、3年か、できるだけ長く日本に住みたいぜ。
 みんなOKOの結婚式で会いましょう。メールは今後 geocities.
 com に送ってくれると、サカタともの行った先に転送されて必ず受け取れ
 るから。

  ともとMさんは引っ越しの渦中で、話がつけば明日国際引越し屋に荷物
 を持って行ってもらう予定。Kちゃんがタイから持ち帰ったという荷物の
 山にはかなわないだろうけど、うちも減らしても減らしてもけっこうある
 わ。日本を出るときはどれだけカナダにいるのか見当もつかなかったから、
 けっこうなんでもかんでも、実にくだらないものまで持ってきてたからな
 ―。


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  仕事は十日ほど前に終わったので、できれば一人で最後のバイク・ツー
 リングをしたかったんだけど、荷造りがあるので気もそぞろで出かけられ
 なかった。もう寒いしね。バイクは高校生になったMK甥に貸与すること
 にしたよ。でもこいつがけっこうおお事だったのだ。

  バイクを苦労して売っても数百ドルだから、MKがほしいなら奴にあげ
 たいなと俺は思ったわけ。で、「俺なんかハイスクールのときはもうバイ
 クがほしくてほしくてしょうがなかったんだけど、MKはそんなことない
 の?」とそれとなく聞いたのよ。すると「別に」。「クラスの奴等とか乗っ
 てないわけ?」「車に乗ってる奴はいるけどね」。そうか、16で車に乗
 れるからバイクには目が向かないのか。だけどバイクはいいぜ、車なんか
 よりずっと自由だしさとかなんとか言ったんだけど、特に興味を示さない。

  じゃあまあいいか、バイクは売ろうと思っていると、母親のSRから電
 話があったのよ。で、バイクをあげようかと思ってこういう話をマイクと
 したけどぜんぜん興味ないみたいねと言ったら、「いやそれはトモがバイ
 クをくれるなんてあの子は考えてもみなかったからよ、知ったら飛び上が
 るわよ」と言うのさ。じゃあSRが賛成なら、ほしいのかどうかMKに聞
 いてくれというと、やっぱりくれるならほしいとMKも言う。


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  じゃあそれでいこうと話を決めたら、後から聞いたMが激怒しちまっ
 た (笑)。なんであたしとマムに断りなくそういうことを決めるのだと。い
 やだって本人と母親がOKで他に了解がいるとは知らなかったというと、
 心配するのは皆等分なんだから、みんなの了解を得ないとだめだバカモノ
 とえらい怒られた。あたしは猛反対よ、危険過ぎるわと。

  そんなに心配するならよしとくよ。だけど俺がハイスクールのときは本
 当にバイクが夢だったんだけどな。誰にも頼らず自分の意志で行きたいと
 ころに行けるというのは、しびれるほどうれしかったよ。だいたいバイク
 が危険というのも一方的な話で、俺もOKOも東京で十年以上乗っていて無
 事故だぜ。ワインディング・ロードで転んで大きな怪我をしたこともない。
 なにか起これば危険なのは当然だが、物事を考える力がある奴ならそれを
 最大限避けることはできるのさ......。そう俺がいうと、Mの考えが変
 わったらしい。

  そうね、トモの言う通りMKは物事を考える力はあるわねと言ってなに
 ごとか頭の中でグルグル考えたあげく、あちこちに電話しはじめた。一番
 心配してるのはBR母さんで、うちの母さんと同じようにバイクなんてと
 んでもないという感じだったのだが (笑)、Mが俺の考えを伝えると、なん
 だかバイク的な明るい気持ちがみんなに湧いてきたらしい。バイク的ポジ
 ティブなマインド。


  それで結局、自身ハーレー乗りであるMKの離婚父が監督役となり、M
 Kにライディング・レッスンを授けることになった。高速を走らないとか
 の限定付きで(元々遅いマシンなのでそれはいいだろう)、OKとなった
 のだ。今年の秋か来年の春には、ハーレーの父親の後ろをMKが SR250 で
 タカタカ走るシーンがバンクーバーで見られるんだろう。俺だってこのバ
 イクでMKが事故になんか遭ったらもう最悪だけど、俺たちがバイクで味
 わうあのハピネスをMKが味わえたなら、あいつの人生が2倍くらい輝く
 と思うよね。俺は高校のときギターをしょってカブで山のスタジオに登っ
 ていった思い出や、お前たちと走りに行ったさまざまな峠の記憶が自分の
 人生になかったら悲しいよ。


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  てなわけで、バイクをはじめとして大きなものはみな家族に分け与えて
 いるところ。逆に日本に帰ったら3年前お前にやったTVとかギターアン
 プとかを取り返すぞこれは戦いだと内心燃えてたら、お前新婚ハッピー型
 TVを買ったそうだな。なんちゅう拍子抜けなバトルなのだ。

  カナダに3年いて、あと1週間で帰るわけだけど、この3年というのは
 さてなんだったのだろうと反省会のように総括をしようとしても、あまり
 なにも出てこないわ。外国語とコンピュータが上手になって、それで少し
 仕事をできるようになったのがプラス。好きなことやものをみんな日本に
 置いてきてしまったせいで、精神的にモラトリアム(一時停止)になって
 カナダでの楽しみを存分に味わうパワーがなかったのがマイナス。

  今までと違う場所で物事を見たり考えてみるのはいい経験だったけど、
 俺はなにも変わってないと思うなー。エレキに触れなかった分アコースティッ
 ク・ギターの扱いが少しうまくなったかもしれん。打倒巨匠MTさんなの
 だ。あと、毛が伸びた。なにしろときどき漉く以外はぜんぜん切ってない
 からもう、かまやつひろしもびっくりの大ぼさぼさなのだ。帰ったらKB君
 に漉いてもらおう。他はおんなじだね。......でも帰ってみたら、「お前
 外国暮らしで変わったよ。そうなんでも『カナダではカナダでは』って言
 うなよなバカめ」って嫌がられたりして (笑)。

  こないだこっちで一番お世話になった日本人ご夫妻にお見送りパーティ
 をしてもらった。人の情けが目にしみます。今度の日曜はLDや学校の
 先生たちとのパーティだ。でもカナダの人たちは離散集合に慣れてるから、
 皆さらっとしたものだけどね。Mの家族ともしょっちゅうフェアウェル・
 パーティだっていって集まってるけど、行ってみると別に催し物とか送辞
 とか答辞などがなくて、ピザをぱくぱく食べたりするだけなのだ。


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  そんなところかな。Email なんだけど、とりあえず 20 日に俺が
 SPRYNET を閉じて日本でインターネット・アカウントをゲットするまで、
 俺やMに届くメールはお前の NIF アドレスに転送されるようにさせとい
 て。個人メールだけなんでそんなに大量にはこないから。お前が受け取っ
 たら保存しておいてくれ。


  それじゃ。もうじきまた会えるな。お前とARをバンクーバー空港で
 見送ったときの気持ちを思い出すよ。もうじきまたお前と、ちびと、みん
 なと会えるのだ。
 ┌──┐
 │とも│
 └──┘


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