水の国岐阜と北陸の海

■ 99/07/02(金) 23:39:16 □ 須坂〜平湯
 車の中で寝ている。須坂を出るときにぽつりと降り始め、岐阜との県境あ たりから本格的な雨になり、テントは張れなかったのだ。が、バンの中に寝 袋をセットしてしまえばキャンピングカーとなんら変わりはなく、快適に眠 れそうだ。実際Mが家づくりに燃えて座布団やらなんやらを敷き詰めたせ いで、テントよりも快適になっている。タープも車からさし渡してうまく張 れたし、こうして車の中で寝起きできれば雨でもなんということはない。の だが、九州中国の豪雨はいまだ終わらず、予報では関東甲信越も豪雨に変わ る可能性があるとのこと。それを聞くと憂鬱になる。あまりひどい雨ではター プを設営するのも大変だ。  飛騨山脈越えは、心細くて何度もやりたいようなドライブではないが、激流 の横をガシガシと上っていくすごい景色だった。飛騨は水の国だ。  ルート自体はまだ決め兼ねていて、高山・郡上八幡あたりまではいいとして も、そのあとどうするか決められない。四国へ行くとなるとどのルートでも高 速で長距離を抜けねばならず、それが軽自動車では気が重いところだ。  まあ今夜はともかくゆっくりと寝よう、ランタンのガスも切れた。
■ 99/07/03(土) 21:29:16 □ 平湯〜飛騨高山
 朝方大雨になり、屋根をたたく音で目が覚めると脚もとが水びたしになっ ていた。うわなぜだと夢うつつに考えつつ、全然分からないのでともかく寝 て朝考えようと耳栓をして寝なおす。次に起きたときには9時過ぎだったの だが、Mが「やられたわよ」という。タヌキかサルか、クーラーを開けて すべてを食い逃げていたのだ。  くそお、しかしクーラーを開けていくとは動物のくせになかなかえらいと 感心しつつ朝のコーヒーを沸かしていると、雨がとんでもない勢いになって きた(飛騨地方も警報ものの豪雨だったらしい)。苦笑いするしかない。 朝方の寝床の洪水は、車のカーテンに使ったチタンジェから毛細管現象でこ の雨が染み込んでいたのだった。タープを張るために使った紐からも来たら しい。  まあそれ以外は特に被害もなく快適に眠れたのだから別にいいわと思ってい ると、寝具が不快だと絶対に許せないMが洗濯をするのだと寝具をたたみはじ め、それを手伝っているうちにタープが雨の重みで垂れてコーヒーポットを倒 してしまう。瞬間的には「うわ沸かし直しだぜ」くらいの反応しかなかったの だが、「苦境に陥ったら笑ってポジティブに」がモットーのMの無理笑いが出 たところで俺も滅入ってくる。  あとはネガティブな方向にしか考えは進まず、ダークな一日となる。風も 出て悲惨なことになってきた。結局そのまま下界に降りて飛騨高山のホテル に入ったのだが、寝袋が濡れた程度の被害ですぐホテルに逃げ込むのもなん か情けないし、とはいえ雨は上がりそうにないし。そしてこのまま雨の中じ わじわと高速で四国に向かうのだろうかと思うとその途方も無い距離感に気 が重く、しかしこうして北陸あたりでお茶を濁してしまうのも情けない。ど うしたらいいのだと考え込むばかり。  結局夜になってから、俺の見通しが甘かった、軽で行くには四国は遠すぎ ると説明し、のんびりとこの北陸を周遊しようということになった。今夜は 乾いたホテルで鋭気を養おう。  しかし本当に飛騨は水の国だ。梅雨どきだから雨は当たり前なのだが、山 々のあらゆるところから水が吹き出して、川に流れ込み激流となっている。 長野あたりだったら建設省と警察が寝ずの番をしそうな水量と水圧の川が、 町の真ん中を平気な顔をして流れている。その川面に家が立ち並んでいる。 人々の感覚が違うのだ。水の国。
■ 99/07/04(日) 21:47:16 □ 高山〜世界遺産の村白川郷
 雨上がりのひんやりとした初夏の空、世界遺産白川郷に向かって水と緑の中 をひた走る。巨大な高速道路の建設が行われており景色がぶち壊しの部分が多 いのだが、川は本当に美しい。長野とえらい違いの水の量と自然度だ。OKO が長野じゃ釣りはつまらないと言っている意味がよく分かる。なぜか釣り師は ほとんど見かけないのだが、あんな川を見たら俺だって釣りをしたくてたまら なくなる。ああいうのが本当の日本の川なのだろう。長野では山が急峻すぎる のか水量のある川が少なく、そして手ごろな川はすべてコンクリートの溝になっ てしまっているのだ。  白川郷は人の話から想像したほどのスケールではなかったが、のどかで美 しかった。村の中を歩いてゆっくり見て回る。店や飯屋で人と話すと、松本 から山を一つ越えただけで関西弁になってるのにも驚いたが、岐阜というと ころは意外に人当たりがきついなと感じる。そういう人にばかり当たってい るのかもしれないが、慣れないのでひるむこと多し。  それからさて夜はどこでとなったときに、なにしろ世界遺産なので日曜に開 いているスーパーマーケットなどというものは一切なく、食べ物がないぞと窮 地に陥る。どうにかナンデモ屋でしけたような冷凍食品を仕入れ、湖畔のキャ ンプ地につき、風よけのタープと寝床をセットすると落ち着いた。こうしての んびりとキャンプをしながら旅をしたい。遠くへいこうと無理な算段を立てず に。Mが地図を読めず、俺一人に旅のよしあしがかかっているような気がして プレッシャーを感じているのだが、どう転んでも悪い旅になんてならないのだ。  明日は長良川の清流で有名な郡上八幡に向かい、時間がなければ宿屋に泊まっ て、あさってからは海を目指す。雨の心配は当面なくなったようなのだが、夏 の光が戻ってくれないかな。そしたら海で泳げるのに。
■ 99/07/05(月) 16:44:16 □郡上八幡〜九頭竜湖
 どうしてこうなのか今日も夕方にくだらぬことで喧嘩をしてしまったのだ が、それ以外はサマーフィーリングのあるいい日だった。空は晴れ入道雲が そびえ立って。  川と鮎で有名な郡上八幡を目指したのだが、長良川上流は水がしなやかに流 れ、釣り人は月曜からゴマンといて幸せそうだった。いいなあと思う。俺も釣 りをやりたいぜ、あの水の上で竿を振りたい。長良川は基本的に人里を流れて いく川なのだが、流れ込む支流が多いせいで濁らないらしい。実際流れ込みが あるたびに水量が増えて、見ていて小気味いいほどだった。  郡上八幡のエリアに入っても川はそこまでと特になにも変わりがないので、 まあ釣りで有名なだけだったのかなと町を探す。バイパスからえらく離れて 見つけにくいところにあった町は、細い商店街が張り巡らされた小さな小さ なかわいい町で、さらにその町の中を何本もの川が流れて長良川に流れ込ん でいくのだった。その成り立ちがかわいく美しい。一つ一つの川にみな釣り師 が糸を垂れているし。なるほど他に何もないけれど、こういう風情が旅人の 心を掴むのだな。もう一度町の外に出てみると、八幡から流れ出す水が本流 にぶつかっていい色合いを出していた。  そこから九頭竜という名前の派手なダム湖まで上がると、途中で福井県にな る。ここも初めて来る県だ。九頭竜湖のキャンプ場もここまでと同じく俺たち だけの貸し切りで、管理人も帰っちゃうからと料金を 1/3 にしてくれた。こ こが意外にもロケーション施設ともに文句のない素晴らしいキャンプ場で、水 と緑と花があふれている。そう頻繁には出会えないほどナイスな、300 人は入 れそうなキャンプ場にたったの二人というぜいたくさ。どこがベストのベスト のベスト位置なのだと寝場所選びに迷ってしまう。晩飯は手作りバーガー、満 足の味であった。  今日で車中キャンプは3日目、設営も撤退も手慣れてきている。出発以来ガ ス台を囲むアルミ坂、高級ポリタンクなども新たに仕入れ、快適さはいや増し ていてしみじみうれしくなるのである。カナダに行けばまたこいつらとはお別 れになるわけなのが切なし。そういえばKB君にもらったサカイのナイフが折 れてしまった。高級だがどうも硬すぎて使いにくい奴だったので、薪を割った 程度で折れてしまうならばこれも物としての寿命かと思う。MBさんにもらっ たバックナイフの方はいつでも実にいい感じなのだが。  しかし梅雨どきだからなのか平日だからなのか、金日月と3泊キャンプをし て他に一件も人がいない。キャンプ場でキャンプする利点は回りに人がいて心 強いという点に尽きるわけで(まあトイレとか水道があるけれど)、天上天下 ただ二人だけのキャンプ場は恐ろしいものがある。心細いので入り口のゲート は閉めてきたのだが、誰も現れないでくれと祈るだけ。誰もいないはずなのに テントの外に誰かいる! というのは二度も経験があって、あれは本当に心底 恐ろしい。あれはなんだったのだろう。 ----------------------  明日は海まで降りていく予定。そこから佐渡に行きたいとMはいうのだが、 釣りもしないのにあそこまで行くのもなにか徒労な気がする。ま、we'll see である。
■ 99/07/06(火) 20:18:00 □ 九頭竜湖〜東尋坊
 九頭竜湖のキャンプ場が快適すぎて去る気がせず1時すぎまで粘ってから 出発した。一気に海まで行くぜ。九頭竜のえらく深い谷を抜けて福井 市に出、久々に見る都会を横目に東尋坊を目指す。東尋坊というのがなんな のかは分からないのだが。  途中田舎ドライブを楽しみながら、これは昔のバイクツーリングと同じだな あと思っていた。あの頃より荷物をたくさん運べ、その代わり道中走りの楽し みはないだけで、この喜びは変わりない。これをまた味わえるとは本当にラッ キーな人生だ。  4日間すごい山の中にいたので、町場に入りセブンイレブンで簡単にお握り やドリンクを買えることがうれしくなる。軟弱だ。福井市は大きな都会でなん でもあり、俺は Book-Off で古本を買い、Mはドーナツを購入。たいしたモノ じゃないのだが、こうしてほしいものが手に入る状態というのは本当にありが たい。俺は須坂よりも田舎には住めないな、まったく。  日暮前に東尋坊に着く。うわあ海だ。もうイイっていうほど山の緑に浸り切っ ていた目には、実にみずみずしく気持ちのいい景色だった。東尋坊というのは つまり、奇岩の岬のことであった。ノバスコシアの Peggy's Cove を小振りに した感じで、Mが非常に喜ぶ。  ホテルらしきものは回りに見当たらなかったのだが、キャンプ場ガイドに 「国民休暇村」という表示があったのでそこを目指してみると、狙い通りの国 民宿舎だった。朝夕飯付き温泉付きで1万と国民的な値段だったので喜んで決 定。回りはたまには海でも見に行くかと出てきた感じのおじいちゃんおばあちゃ んばかりで、こういう人たちが浴衣でリラックスできる官営のホテルがあると いうのはいいことだなあと思う。お湯もぬるめでよかったし(というか長野の お湯が熱すぎるのだ)。こうしてキャンプとホテルとの混合旅というのはラク だ。明日はここらへんの浜でのんびりしたいな。
■ 99/07/07(水) 09:24:00 □ 東尋坊〜入善
 晴れて潮風がさわやかだ。今日は午前中磯で遊び、午後は未定。海辺という のは町にもキャンプ場にも近いので、どうにでもなるだろう。今日は誕生日だ。 ----------------------  10:55 pm 現在富山の入善という小さな港町のキャンプ場、ココアを飲んで ます。今日は誕生日にふさわしいというべきなのか長く盛り沢山の一日だった。 ホテルで早い朝食を取り東尋坊を散策し、国道をひた走って金沢に入って飯を 食い古本屋チェックし兼六園を見学し、ハイオクをマシンに詰め込んで高速に 飛び乗り一気に富山を越え黒部までやってきて、キャンプ場を探しどんどん暗 くなる中テントを張って飯を食い、ふーと一息ついたら10時を回っていた。  東尋坊は本当にノバスコシアみたいだった。あまりにも俗悪なみやげもの屋 の宣伝スピーカーとツアーガイドと強引無礼な呼び込みには北陸人の神経を疑っ たのだが、景色はよくて満足する。兼六園は、これを目指して長野から来てい たら肩透かしだったと思うけど、町中にこういう公園があるのは気持ちいいだ ろうという感じの水と松の森であった。金沢という町は何故なのかおそるべき 渋滞の町で、古い町並みを見つけて歩けば楽しいのだろうが、今日は暑さもあっ てさっさと出てきてしまう。  キャンプとドライブで背中が痛くなり里心が出てきたMの要望で、可能な限 り長野に近いところで泊まろうとそこから高速で一気に黒部まで来たわけであ るが、ここまで来ちゃうともう見るべきものもないな。帰路白馬あたりがよほ どよかったら泊まることにして、そうでなければ帰ろう。4時間くらいのドラ イブでゆっくり帰れるだろう。 ----------------------  今回の旅行を総括すると、やはり北陸人はちょっと信州や関東と感じが違う という印章が強く残るな。一度の旅行で何度もカチンとくるなんてことは、国 内じゃあまり経験がない。白川郷の飯屋のビッチと東尋坊の下劣呼び込みおや じを頂点として、たとえば兼六園のみやげもの売り場のお姉さんとかも長野に 比べたらずっと押しが強いし。こういうのは京都では経験しなかったので、北 陸って地域性が強いのかもしれない。俺が心からいいなと思ったのは岐阜の川 であった。あの水の豊富さはなんともいえず素晴らしい。海はこうしてときお り来れたらそれで十分だなと思う。水と魚のたっぷりある川が俺はほしいよ、 家の近くに。  とにもかくにもMにも言ったのだが、こうしてのんびりキャンプ旅を一緒 にできてよかった。これが俺のやりたかったことなのだよ。日本の田舎を旅し たいと、ずっとカナダで考えていたんだ。
■ 99/07/08(木) 17:47:29 □ 入善〜須坂
 帰ってきました。ふー。富山のキャンプではギターを持って MTB で日本一 周しているというすばらしい青年にギターの奥義を伝授して、それが旅の終わ りであった。彼は一日 100KM 走るのだという。車の俺たちより長い。  旅行中に家にねずみが入り込んでいたことが判明し、戦りつする。ネズミ〜!? うーむ、この家は実に寿命が近づいている。とりあえず隙間をふさぎ、ねずみ 取りを仕掛ける。バイキンがバイキンがあ。
■ 99/07/11(日) 12:19:49 □ Mの送別会
 Kちゃん一家がお別れにやってくる。俺に影響されK家にも Playstation が入ったとのことだが、誰もあまり燃えてないみたい。Kちゃんに FIFA98 を 薦めておく。 ----------------------  午後、さか田一族によるMの送別会が山の中のバーベキューハウスで行われ る。暑すぎず寒すぎず須坂の町を見下ろす景色は絶景で、肉は絶ウマ、最高の 午後となった。問題は多いが、基本的にいい家族なのだ。 ----------------------  夜更かしして一人でゲームをやっていたらネズミが出た。クラッカーを盗も うとして音を立て、出てきた俺に気付いて台所の陰に走っていくのが見えた。 くそー、捕まえたい。捕まえねば安心して眠れない (*_*;;;;;)。  戸棚の裏をチェックしてみたがいず。流し台の裏に逃げ込んでいるんだろう なあ、あいつは。こんな人がまだ起きている時間から活動しているとは、許せ ん。なんとか罠にかかってくれんだろうか。
■ 99/07/13(火) 12:05:27 □ デイブのお別れパーティ
 荷物送出終了。俺はどう見ても2uぎりぎりだと思うがMは 1.5 で済むと 確信し、ヤマトに2uといわれると憮然としていた。箱が弱いともいわれ憮然 とし、そのたびにいちいち俺がその理由を聞いたり考えたりせねばならず消耗 する。他に頼める会社がないのだから仕方がないではないか。長野 ⇔ 東京の 運賃と通関の手間と安全性を考えに入れれば、多少高くてもここはあきらめど ころだと思える。 ----------------------  夕方から最後の長野タウンへ行く。最初に思い出のサマーフィーリング川に Mを連れてセンチメンタルになりに行き(川の様相は5年の間にずいぶん変わっ ていた)、善光寺で最後のお土産を買い(Mが自分用の観音様と鐘を買った)、 それからデイブでのお別れパーティに行く。こないだのキャンプのメンバーと バンジョーの天才O氏が歌を歌い別れを惜しんでくれた。「ビートルズならな んでもできるすごいギタリスト」と俺は紹介されており、かつギルドギターが 最悪な弾きづらさで、さらにビートルズ本がないためレパートリーを思い出せ ずえらいプレッシャーだったのだが、最後の方はそれなりに盛り上がる。最後 に So-Do のスターAさんが来て、「アリとキリギリス」を歌ってくれたのも うれしかったところ。
■ 99/07/14(水) 14:27:31 □ ゲジゲジ大発生
 蟻・ネズミに次いで今日は家に 2cm くらいのゲジゲジが大発生、朝から 50 匹以上捕まえては草むらに放すを繰り返している。うーむ、この家はもう限界 なのだろうか。だがこの大騒ぎのおかげでMが本日落ち込まずにいられるのが 救い。Mの荷造りと家の片づけを続行する。 ----------------------  01:06 Mの荷造りは終わり、あれこれと打ち合わせをし、母さんのとこ ろにお別れ食事をしにいく。去り際に大泣きになるM。なんか今回の2年は、 前回よりもずっといい時間を持てたのではないだろうか、うちの母さんの助力 も大きく。  明日はMの荷物が大きすぎて、成田まで行かざるを得ない感じ。まあ周りか ら『成田まで見送らないのは鬼畜の所業』という目で見られていることもある ので ^_^;、行ってこよう。しばらく一人になるのはうれしいが、さりとて離 れ離れになるのはさびしいという矛盾した気持ちに俺もなっている。
■ 99/07/15(木) 23:40:31 □ M先行帰国
 電車の乗り継ぎはスムーズにいき、予定通りチェックインをして最後の飯を 食べた。もういらないからと小銭を全部俺に渡すMを見ていて、ああそうなん だよなとしみじみ彼女の日本生活の終わりを感じた。まだボーディングまで時 間があるからゆっくりしなよといったのだが、早く落ち着きたいし、もう一緒 にいても泣いてしまうだけだとMはいい、涙をこらえながらゲートをくぐって いった。何度も大きく手を振って別れ、空港でこうして別れるのはローマ以来 だと思った。あれ以来、俺の一事帰国時以外は本当にずっと一緒だったなあと 思う。やはり来て正解だった。  浦和のKちゃんのアパートに止めてもらう。ここの前の道からおととしの秋 Mとタクシーを拾って浦和に行き長野に帰ったことを思い出す。俺がアントラー ズ韓国の旅から帰ったWC予選の次の日で、「岡野やりましたね」とタクシー の運ちゃんに話しかけたのだった。  もうMは太平洋上を半分くらいまで行ってるだろうか。彼女がここにいない のが信じられない。あれから2年、少しでもよくしたいとずっと努力を重ねて きたMの日本生活が、今日でリセットされてしまったのだとしみじみ思う。ま た何年かあとに日本に来たら、一からやり直しだ。もうこれで誰の面倒も見ず にフリーなのだという解放感を俺は待ち望んでいたのだが、現時点では欠落感 に圧倒されているわ。

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