【Journal】ネットで調布関東村


■ 02/04/03(水) 13:31:15 □ 素晴らしい春の川
 あまりにも素晴らしい春の午後、川に行った。犬たちがザブザブと水浴びを している中、萌と石ころを川に投げ入れて遊ぶ。もうちょっときれいな、魚の いる川だったら最高なんだけど。散歩と買い物を済ませ、晩飯に超美味なから 揚げを作って食べると、ああ幸せな春の日々と思うのであった。  朝のプールも合わせ今日は十分イベントフルな1日だったのだが、夜Mが用 事でモールに行くというので萌も連れて付き合って行ってみると、駐車場が夏 季特設遊園地になっていた。すごい。観覧車にライドにメリーゴーランドにポ ニーライドに射的の数々。もう萌は震えるほど興奮して走り回っておったので あった。寒かったけど、グルグル回るライドを萌とともにおーと声を立て眺め ていると楽しかった。春はよい。夏はさらによいけど、春は冬の後なのでとに かくありがたい。
■ 02/04/07(日) 11:56:47 □ さよならTDさん
 今日はバンクーバー日本語 BBS 主宰だったTDさんの送別会。 ◇ ◇ ◇ ◇  22:18 帰宅。久しぶりに大声で歌い、普段使っていない腹筋がクタクタに疲 れた。腹筋を使うゆえ喉はまったく痛まないのがさすがにプロミュージシャン なのだが(笑)、ほとんどボディブローを打ち込まれたかのようにおなかが痛 いのが情けなし。  送別ジャムセッションはなかなか皆が共通でコードを知ってる曲がなく、現 代ロックは難しすぎて、GSなどをポロンポロンとやった。世代的にチューリッ プがうけるかなと「サボテンの花」を歌い始めてから、(あ! この歌は送別 にはまずい) と内心青くなったのだが、さいわい泣き出す方はおられなかった。  TDさんの子供たちは、5〜6年前に会ったときにはまだ小さくて強いきか ん気を見せていたのだが、上の子は実に礼儀正しいジャズバンド高校生、下の 子もおしとやかな中学生に成長していた。日本語はほぼ完璧で、だが難しい単 語はやはり英語になってしまう。「僕の band は contest に pick されてる から...」と和化英単語部分もすべて英語発音だった。萌も将来きっとこうい う風に日本語を喋るんだろうなと興味深い思いがした。  P家のTY君も、俺と喋るときはパーフェクトな日本語なのだが、両親相手 にふざけているときなど今日はけっこう英語を使っていた。TD家の子供たち と英語で話しているノリがそのまま気分に作用していたのかもしれない。MY ちゃんを見ていると、萌のするいろんな動作や表情がMYちゃんの中にもある ことに気がつく。女児特有の表情なのだろうか。―――てな具合に、前にはし なかったいろんな子供観察を俺はしているのであった。  ともあれ。TDさんがBBSをやっていてくれたおかげでP先生にも出会う ことができたのである。感謝しております。そういうことをいいたいと思って いたのだが、どうしてもしんみりするのが恐ろしくて切り出せず。「それじゃ、 元気でいてください」と固く握手をしてお別れとなった。ほんとうに、元気で いてください。
■ 02/04/12(金) 15:37:45 □ Temper Tantrum
 本日は萌午後3時まで昼寝してくれず。ふー。今週はただただ萌を寝かしつ けているだけの週だった。またこの頃萌は、ちょっとしたことで泣くことが多 い。まあ泣くなすまんお父さんが悪かったとつきあってやるとすぐに泣き止む のだが、これからこういう temper tantrum(かんしゃく)は大きくなるまで 延々と続くのだとMはいう。そういう年頃なのよ、仕方がないのだという。うー む。一切かんしゃくのないドリーミィな子供に育ってほしいのだが ^_^;。 ----------------------  夜、BRからもらった英国風ミートソースを萌が食べず、晩飯を中断してし まった。「無理に食べさせることはないが、出たものを食べないなら代わりは やらない」というのがMの方針で、萌が「ゴガン(ご飯)! パン!」などと 自分の好きなものをねだるのを拒否していたのだが、俺は「いや、萌は意外と すでに日本食党になってるのかもしれない」と説得し、萌のためにご飯を出し てやった。かつぶしを振ったほうれん草と、ゴマのふりかけのご飯をパクパク とおいしそうに食べる萌。  さらに萌は途中で台所の食材引き出しを開けてゴソゴソと探り、なにかを探 している。ふりかけやスープなどのパッケージを手にとっては「ノー」と言っ て戻してるので、もしかしたらと海苔がほしいのかと缶を見せて聞くと、「ノ リー!」と大当たりなのだった。ご飯に海苔を乗せて食べる(というか海苔だ けつまんで食べる)この我が娘の成熟した味覚よ。えらい。
■ 02/04/15(月) 15:19:47 □ ベイビーシートの向き替え
 レガシィに付属のベイビーシート用金具をインストールし、今まで2年間後 ろ向き(乳児用)だったシートを前に向けた。きれいにインストールできるよ うに最初から設計してあるところが、やはり現代の車はいいなあと思う。これ で萌は前を向いて座り、運転する俺たちの顔を見ることができるし、視界も広 がりドライブが楽しくなることだろう。ただ後席の肩幅が超せまくなってしま い、窮屈感が出てしまった。このあたりやっぱりレガシィは5ナンバー(カナ ダではコンパクト)カーなんだなあと思う。まあしかし全長が長い車でこれで 幅まであったら駐車が地獄なので、仕方があるまい。萌が大きくなるまでの数 年間の我慢なのだし。  ラゲッジルームに乗り込んでインストール作業をしていて、まったくワゴン というのは無駄のないパッケージだとつくづく思った。今は家族5人で、萌が 大きくなったら全員で移動するのはかなりしんどい状態なのだが、これ以上大 きな車は乗りたくないな。 ----------------------  晩飯後スーパーまで萌を乗せて用足し&テスト走行。出発した瞬間萌は、自 分が向いている方に景色が広がっていることに気がついて、「Tree! Car! Truck! To-tan! Mommy!」と叫び続けになってしまった。ミラーの中に俺を見 つけて喜んでいる萌を見ると、やっぱり取り付け直してよかったなと思う。横 に同乗したMによればたしかに幅はきついが、萌のシートに腕を乗せればさほ ど苦しくはないとのこと。  夜MKを迎えに再度萌を乗せて出た。萌は以前後ろ向き時代、夜のドライブ を怖がって泣いたことがあるのだが、フロントを向いて俺を含むすべてが見え るということにえらい興奮しており、大騒ぎの楽しいドライブとなった。「右 に曲がりまーす」「まーす!」「左に曲がりまーす」「まーす!」  帰りにMKにチェックしてもらったが、ブレーキを強めに踏んでも萌の頭が 前に揺れるようなことはなかったとのこと。まったく問題なし。
■ 02/04/20(土) 12:54:16 □ 高校1年の春を思い出す日
 萌の世話をMKにみてもらい仕事をする。素晴らしい天気。窓を開けまだちょっ とひんやりしている春の風を受け、日本の音楽を聴きながら仕事をしていると、 なにか痛烈になつかしさを感じる。高校1年の春とか。まあ「卒業写真」なん かをアンポンタンにも聴いてるからなのだが。外では近所の芝刈り機の音が絶 え間なく響く春。 「あんたWCなんだから来ない?」と母さんから TEL。いやまったくその通り で、金銭とMのスケジュールが厳しいのだが、前向きに検討します。
■ 02/04/21(日) 13:38:54 □ モータースポーツ三昧
 GP を見ながら仕事。250 は知ってるライダーがいないせいもあるが、ライ ダーの個性が見えてこない。500 (MotoGP という名前はダサい) を見るとやっ ぱり面白い。それぞれのライダーがどうやって 150ps を地面に押し付けてい るか、トップのロッシと宇川のどちらがより余裕を持っているかが分かる。  結局調子に乗っていたロッシがミスり宇川が初優勝で、なかなか面白いレー スだった。だが日本人ライダーが勝って相手がロッシじゃ、あまり 500 とい う感じがしないのは時代に取り残された私だけなのかしら。ローソンとかドゥー ハンが走っていた時代には、平やノリック&岡田がどれほど頑張っても勝てな かったのである(岡田は勝ったけど)。日本ライダーのレベルも当然上がって るのだろうが、宇川が平より飛躍的に速いとも思えないし。4ストが速すぎる こともあるけど、今は絶対的な存在のいない過渡期なんじゃないだろうか。 ----------------------  WRC 最終日、ぎりぎり車1台分しかない崩れかけた崖の上を爆走する WRC カーたち。崩れかけた崖の、その崩れた部分にインのホイールを浮かせて曲がっ ていくのである。おそろしー ^_^;。しかしこのキプロスラウンドは面白かっ た。豪雨の中のステージなんかは、マキネンらベテランですら「こんなひどい 雨で走ったことがない」というくらいの泥雨で視界が消え、さらに多くの車の ワイパーが壊れてフロントをぬぐうことができなくなっていた。そんな状態で も走り続けるのだから、まったく大変な仕事だわ。
■ 02/04/27(土) 19:17:07 □ ネットで調布関東村
 久々に一日を萌と遊ぶことだけに費やした。晩飯後に連れていったスーパー の遊び場で萌が走り回り、なかなか車に戻らない。その萌に長いことつきあっ て走り回りながら、こんな時間の無駄が苦でもなんでもないというのは不思議 だと思った。トイレや風呂に入っていても本がないと我慢できないし、仕事中 タバコを吸うときにはモバにファイルを入れて出て、デッキで仕事をしてしま う。そんなせっかちな俺なのに、萌さんと来た日にゃもう。 ----------------------  夜ふと思い付いて、昔泊まり込み警備員として働いてた調布関東村跡、府中 基地跡などをネットで検索してみると、当時は知らなかった関東村の歴史を知 ることができた(エエ時代になりました)。府中基地は 1939 年、旧帝国陸軍 燃料廠として設置され、戦後米軍に接収されたのだとのこと。調布関東村は、 都心にあった米軍宿舎が東京オリンピックのために 65 年調布に移転したもの なんだそうだ。73 年あのパラボラ以外のすべてが日本に返却されたのだとの こと(立川基地は 77 年)。つまり俺が守っていた住宅群廃墟は 10 年も使わ れず、俺が入った時点で 17 年間ほったらかしになっていたのだ。まことに行 政の遅滞を表すようなもったいない話。が、戦後の日本は米軍住宅群を作るた めにいろんな規格を策定したりして住宅技術開発につなげたのだというし、俺 たち多くのバンドマンもあの廃墟警備仕事のおかげさまでしばらく食いつなげ たわけで、まったくの無駄ではなかったのだけど。  府中基地の写真を大量に掲載しているサイトがあって、あのパラボラを 10 年ぶりに見た。いまでも稼動しているらしい。なつかしい。ラジオを聞きなが ら調布の警備事務所からあのパラボラ基地を点検しに行った、あの春の日々が なつかしい。HCに会いに行った立川基地や、基地周辺の米軍ハウスや廃線を 研究しているサイトもあった。  実際あの武蔵野の町でも軽ワゴンだとけっこう広いような気がしたのだが、 いまネットで地図を見てみると遠いと思っていた立川基地ですら武蔵境から 10km と少し。バンクーバーなんて、町の反対側 Ladner までSH姉に会いに 行けば往復 100km だからなあ。軽自動車でポロポロのんびり走るだけで友達 に会えた、あのコンパクトな東京の愛らしさよ。これは昔の徒歩の宿場町によっ てできたスケールなんだろう。
■ 02/04/30(火) 16:30:23 □ LDの引越し
 わが家の友人LDが PoCo に引っ越してきました。めでたし。引越しはピカ ピカに輝く夏日となった。MKと共に手伝いに行き、汗をかきながらよっしよっ しと働くのは気持ちがよかったのだが、トラックに荷物が満杯になる頃にはマ ジで疲れた。だが日ごろ肉体を使っていなくても、けっこういけるなあとも毎 度引越しを手伝うたびに思う。  当家から車で5分のLDの家は、フロントから見ると小さいのだが、中は奥 に長いうなぎの寝床で広々とし、夢の一人暮らし邸という感じだった。表通り Prairie の喧騒も、日本で住んでいた俺たちの八幡ハウス同様、中に入ってし まえば気にならない。LDは独力でこの家を手に入れたんだからえらい。30 代の OL が独力で家を買えるというカナダの国情もえらい。  しかしLDの家に荷物を運びいれた後は、強い陽射しを浴びたのも加わって 全員ヘロヘロという感じであった。まあ首尾よく終わってよかったよかった。 引っ越しにはLDの女友達が多数手伝いに来ていた。どの人もなんかごく普通 のおばさんで、元気なLDはああいうおばさんたちのアイドルなんだろうなと 思う。 ----------------------  夕方萌と外で遊んでいると隣のRB青年がやってきて、「日本アニメコンベ ンションに行ってきたんだ」とトトロのぬいぐるみを萌にくれた。なんという 親切な君なのかね、日本語の勉強がしたかったらいつでも我が輩を訪ねてくれ たまえよと言い聞かせる。しかし「コンベンション(会議)」って、「トトロ」 の研究とかしてるのかな。聞いてみないとよく分からない。
■ 02/05/01(水) 10:04:14 □ MK発熱
 LDの友達のLSが出産に入ったと早朝Mが伝言を頼まれ出かけ(LDの家 にまだ電話がないから)、俺も目が覚めてしまった。体が痛すぎて寝ていられ ないのである。うー。どうして筋肉というのは一晩経つと痛くなるのだろう。 夢の中で、マッサージ器の購入を検討していた。  今日は一転寒の戻り、気温 15 度ほどまで落ちている。萌と遊んでやりなが ら、仕事のスケジュールめどを立てよう。まだ確定していないが、日本に行く とすればあと1月。  と思ったのだが、HTML 仕事はやっぱりリンク部分の統一とか手間が余分に かかり、なんだかんだとやっているうちに昼寝してしまい、疲れて駄目。ま、 今夜も早く寝て明日頑張ろう。MKも熱を出して(熱射病らしい)、今日は 一日寝込んでいたとのこと。やはり昨日はハードだったのだ。 ----------------------  萌は俺が作る毎日のご飯を「Yummy おいしい!」といって食べてくれる。俺 も自分でもうまいものを作っていると思うが(むろん失敗もあるが)、萌がお いしがってくれるのがうれしく、なんでもよく食べる子なのがありがたい。夜 のスナックでミルクやバナナをあげるときには、萌に食べさせるものが常にう ちにあるということが実にありがたく感じる。子供が食べるものがない国だっ てあるのだということを、逆に強く感じる。  カナダのこういう住宅地では、地域の野球チームに募金してくれとか肝臓癌 協会に寄付してくれとかほぼ1日おきくらいに人がやって来る。そのたびにな んで見知らぬ子供の野球チームを支援せねばならんのか、なんで肝臓癌なんて 特定の病気を支援せねばならんのか(医療研究費が足りないなら政治家を動か してロビー活動すべきではないか)と腑に落ちない思いをするのだが、うちは それらを一切断りサードワールドに募金を回したい。Mは昔から本当に寛大に 募金しているのだが(萌の新生児用品もすべて救世軍に寄付)、我が家は飢餓 救済にすべてを回そうぜと言い聞かせるのであった。
■ 02/05/03(金) 11:15:50 □ 日本行き案が本格的に始動
 旅行に行っていたBRが帰宅。萌はグランマを見て「あ、そういえば久しく 見なかった」と思ったようで、「ガマンマ」と呼んで恥ずかしそうにしていた。 ----------------------  WC時日本行き案が本格的に始動した。Mの論文締め切りのことを考えると まだ踏ん切りがつかない気分はあるのだが、M自身が「やれるだけやるけどど うなるか自分でも分からないのだから心配するな」というのである。たしかに どうなるか分からんものを心配して、一生に一度の日本WCを逃すのも馬鹿げ ている。とりあえずパスポート(萌にパスポートが必要なのだった!)を用意 し、進めていこう。

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